金沢地方裁判所 平成8年(ワ)692号 判決 1998年4月10日
呼称
原告
氏名又は名称
ジャンセン・ファーマシューチカ・ナームローゼ・フェンノートシャップ
住所又は居所
ベルギー国 二三四〇 ビールセ トウルンホウト セバーン三〇
代理人弁護士
品川澄雄
代理人弁護士
吉利靖雄
復代理人弁護士
滝井朋子
呼称
被告
氏名又は名称
辰巳化学株式会社
住所又は居所
石川県金沢市三馬三丁目三四五番地
呼称
被告
氏名又は名称
東洋ファルマー株式会社
住所又は居所
石川県金沢市諸江町下丁二八七番地一
代理人弁護士
田倉整
代理人弁護士
内藤義三
輔佐人弁理士
高田修治
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
(原告の請求の趣旨)
1 被告らは、別紙一物件目録記載の物件を有効成分とする医薬品を製造し、該医薬品を販売してはならない。
2 被告らは、被告らの所有する別紙一物件目録記載の物件及びこれを有効成分とする医薬品を廃棄せよ。
3 被告らは、被告らの申請によってなされた薬事法に基づく別紙一物件目録記載の物件を有効成分とする医薬品に対する製造承認につき、厚生大臣に対し、製造承認の整理届を提出せよ。
4 被告らは、厚生大臣に対し、前項の医薬品について健康保険法に基づく薬価基準収載の削除願を提出せよ。
5 被告らは、原告に対し、被告らが別紙一物件目録記載の物件を有効成分とする医薬品について厚生大臣の製造承認を得るために別紙一物件目録記載の物件を有効成分とする医薬品を用いて試験を行って得た試験データ及びその他の資料を返還せよ。
6 訴訟費用は被告らの負担とする。
7 仮執行宣言
(被告の答弁)
1 本案前の答弁(後記原告の特許権に基づく妨害排除請求に対するもの)
原告の請求をいずれも却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
2 本案の答弁
主文同旨
第二 事案の概要
本件は、存続期間の満了した医薬品の特許権を有していた原告が、同一の有効成分を含有する後発医薬品の製造承認申請の添付資料を作成するため右存続期間中に右医薬品を使用して試験を行った被告らに対して、特許権に基づく妨害排除請求等として、前記の請求をした事案である。
一 争いのない事実
1 原告は、医薬品等の製造、販売を業とするベルギー国法人である。
被告らは、医薬品等の製造、輸入、販売を業とする株式会社である。
2 原告は、別紙二の特許権(以下「本件特許権」という。)を有していたが、本件特許権は、平成八年七月一九日存続期間の満了により消滅した。
3 本件特許権の特許請求の範囲第1項に記載の一般式において、R1、R2及びR3に水素を選び、Bに<省略>を選び更にLに水素を選び、 nを各1とし、基<省略>の示す式中R7に水素、R3に5位クロール、 O、Mに水素を各選び、破線を単結合とした別紙一物件目録に式で示す化合物は一般名を「ドンペリドン」といい、強い制吐活性を有し、慢性胃炎、胃下垂症、胃切除後症候群等の疾患に対して細粒、錠、ドライシロップ、座剤として用いられる。
4 被告らは、本件特許権の存続期間中に、右ドンペリドンの製剤(以下「本件医薬品」ともいう。)につき、薬事法に基づく製造承認に必要な諸試験を行い試験結果を得て、これを用いて薬事法に基づく製造承認の申請をして製造承認を取得し、さらに、被告らの製造するドンペリドンの製剤が健康保険に用いられる保険薬として承認を得るため、健康保険法に基づく薬価収載への申請も行い、同年七月五日、薬価基準の収載を受けた。
二 当事者の主張
(原告)
1 特許権に基づく妨害排除請求
(一) 被告の本件医薬品の製造販売には薬事法に基づく製造承認と健康保険法に基づく薬価基準の収載が必要であり、薬事法に基づいて製造承認を取得するためには、それが後発医薬品であっても、薬事法に定める試験を行い、その結果、医薬品としての適格性を確認し、承認申請にあたって、そのような結果を示す資料を厚生大臣に提出する必要がある。
被告らは、本件特許権が平成八年七月一九日に存続期間満了により消滅することから、特許権の消滅後直ちにドンペリドンの製剤を発売することを企図し、本件特許権の存続期間中に、右製剤を製造又は輸入し、これを使用して、前記争いのない事実4のとおり諸試験を行い、その結果を用いて申請をしたうえ、製造承認及び薬価基準の収載を受けた。
(二) しかしながら、特許権の存続期間中に行う右のような試験は特許法六九条の定める試験研究には該当しない。したがって、そのような試験を行うことは特許権侵害を構成し、そのような試験結果を資料として厚生大臣に製造承認を申請することも特許権侵害となる。
(三) そして、後発医薬品の場合は右試験開始から薬価基準の収載に至るまでの所要期間は最低二七か月間を要するところ、特許権はその特許権存続期間中は特許権本来の排他的全権能を享有しえ、後発医薬品の右試験が許されない結果、原告は、本件特許権の存続期間満了後も二七か月間は、本件特許発明の実施品である医薬品を独占的に製造販売しうる権能を法律上有している。
被告のした本件特許権の侵害行為である試験の結果を医薬品の製造承認申請の資料として用いることは、本件特許権に対する妨害行為であり、右二七か月の間に製造承認に基づいて本件医薬品の製造販売を行うことは、本来保護されるべき法益の侵害であり排除されるべき妨害である。
2 特許法を含む産業的取引社会の公正な法秩序に基づく排除請求
産業的取引社会の公正な秩序は、特許権を遵守尊重してその存続期間中はこれを侵害することなくこの産業的取引社会の競争に参加している一般の善良な第三者全体によって構成されているものである。そして、特許発明の実施によって経済的利益を得るためには、事前に同じく特許発明実施行為である準備行為が不可欠である場合には、特許期間満了と同時にその経済的利益を伴う特許発明実施をなしうる者は特許権者に限られ、かつ、その特許権者の有利な地位は右準備行為に要する期間満了まで存続することになる。しかるに、右特許権を侵害して存続期間中に準備行為をなし、特許権存続期間満了と同時に経済的利益を伴う特許発明実施行為をなす者があるとすれば、そのような侵害者は、一般の善良な第三者、すなわち特許権存続期間中は完全に特許権を尊重してその侵害である準備行為を行わず、特許権存続期間満了後に初めてその準備行為を開始する善良の競争者に対しては、右の侵害行為により不公正に有利な地位を得ることになり、産業的取引社会の公正な秩序を破壊する。特許法の構築する産業的取引社会の公正な秩序の要請からは、特許権存続期間満了後であって特許権が消滅した場合であっても、右の準備所要期間のような特許権者の法的利益享受期間は、侵害者に対して経済的利益を伴う特許発明実施行為の禁止が命じられるのでなければならず、この場合にも、特許権侵害が存在しなかった状態、すなわち、特許権が尊重されていたとすれば実現されていたであろう状態が回復されることが必要である。
3 不当利得返還請求
原告は、本件特許発明が完成すると同時にこれに対する独占的な占有を取得し、これについて特許権を取得することにより本件特許権の存続期間中は本件特許発明に対する法的な独占的占有権限を与えられ、独占的占有を継続してきた。
被告らは、原告が本件特許権者としてこの発明を占有していることを知りながら、本件医薬品についての製造承認及び薬価基準収載の必要資料取得のために本件特許発明の実施品である製品を製造又は輸入し、これを使用する等の実施をなすことによって、少なくとも本件特許権存続期間中の二七か月間にわたり、他人の財産である原告の本件特許発明に対する独占的占有を侵奪したものであり、これにより原告に右二七か月間の独占的占有喪失という損失を生ぜしめ、その結果、製造承認、薬価基準収載とこれに基づく被告製剤の製造販売可能な地位という利益を得るとともに製造承認申請のための試験データ及びその他の資料を得て、もって不当な利得を得たものである。
したがって、被告らは、不当に取得したすべての利得、すなわち、製造承認、薬価基準収載及びこれに基づく本件医薬品を製造販売しうる地位を原告に返還すべきである。
4 請求のまとめ
よって、原告は、第一に本件特許権に基づく妨害排除請求、第二に特許法を含む産業的取引社会の公正な法秩序に基づく排除請求、第三に発明の独占的占有に基づく不当利得返還請求として請求の趣旨記載の判決を求める。
(被告ら)
1 原告の本件特許権に基づく特許権侵害予防請求(差止請求)については、本件特許権は、平成八年七月一九日に存続期間満了により消滅しており、実体審理をするまでもなく右請求は失当であることが明らかだから、却下されるべきである。
2 また、次のとおり、被告らの行った試験は特許法六九条の「試験又は研究」にあたるとともに、被告らの行為は「業として実施」したものではない。
(一) 被告らは、本件特許権の有効期間が満了した後に製造販売するのであって、それ以前に製造販売する意思は全くなかったものである。被告らは、本件発明の対象となる化学物質(ドンペリドン)と化学的同一性のある物質を、許認可のための「試験又は研究」に必要な最小限度量試作又は購入し、試作した医薬品は、臨床試験のために供したが、右各行為自体は専ら「試験又は研究」のために行ったものであり、被告らはこれの「試験又は研究」から何の利益も得ておらず、このために原告に何の損害も与えていない。
(二) 特許法六九条のいう「試験又は研究」は、科学技術の進歩に直接間接に寄与する可能性のあるもので足りると解すべきである。被告らの行った試験は、許認可のためという側面は否定しないが、その内容は、被告らのノウハウを動員し種々の実験その他の試行錯誤を繰り返してするものであって、安全性や有効性確認という意義があり、科学技術の進歩にとって意味のあることである。
3 したがって、被告らの行為は、原告の本件特許権に対する侵害とはならないものである。
第三 当裁判所の判断
一 特許権に基づく妨害排除請求について
1 被告は、本件特許権が存続期間満了により消滅したことから、請求を却下すべしと主張する。しかし、本件請求においては、本件特許権が消滅したことを前提としつつも、特許法を始めとする現行法制上原告に妨害排除請求権が認められるのかどうかということが問題とされているのであり、本件訴えがおよそ法律上の権利義務と関わりがなく、直ちに不適法であるということもできないのであるから、被告のこの点の主張を採用することはできない。
2 次に、本件特許権が、平成八年七月一九日存続期間の満了により消滅したことは当事者間に争いがない。
ところで、特許法は、六七条一項で「特許権の存続期間は、特許出願の日から二十年をもって終了する」と規定して特許権の存続期間を明確に法定するとともに、医薬品等の特許権についてはその製造承認等手続の特殊性に鑑み、同法六七条二項、六七条の二、六七条の三で、五年を限度に存続期間の延長を認めているのに過ぎない。そして、同法一〇〇条一項で「特許権者又は専用実施権者は、自己の特許権又は専用実施権を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができる。」と規定し、差止請求をなし得るのは、現に特許権者又は専用実施権者である者としていることが明らかである。これらのことからすると、同法は、右医薬品等の例外を除き、六七条一項の期間を超えて特許権の存続を認めない趣旨と解されるとともに、一〇〇条一項所定の者以外の者の差止請求を行うことを容認しない趣旨であると解される。
このように、既に消滅した特許権をもって、現在ないし将来の第三者の行為の差止めを請求できる根拠は特許法上存在しないことになるし、その他我が国の法制上このような消滅済みの権利をもって差止請求を認める根拠を見いだすこともできない。
したがって、原告の本件特許権は既に存続期間の満了により消滅し、右消滅した特許権に基づいて被告らに対し差止請求を認める根拠も存しない以上、原告の本件特許権に基づく請求は理由がないというべきである。
二 特許法を含む産業的取引社会の公正な法秩序に基づく排除請求について
原告の右主張は、既定の法秩序に基づいてそこから直接に本件請求を導いているものと解されるが、仮に原告主張のような法秩序からの要請があるとしても、それが原告の私法上の権利として構成されない限り、裁判上請求することはできない。そして、原告の右主張を私法上の権利として構成してみても、結局のところ原告の主張の実質は前記一の妨害排除請求が認められるかどうかということに尽きるものと解され、この主張が現行法上容認できないことは、前述のとおりである。したがって、原告の右請求は理由がない。
三 不当利得返還請求について
1 原告は、右請求の前提として、本件特許発明に対する独占的な占有を有していたところ、被告らの右特許の実施によって、本件特許権存続期間中、これにより原告に右の独占的占有喪失という損失と被告らに被告製剤の製造販売可能な地位という利得をもたらしたと主張する。これに対して、被告らは、被告らの行った試験は特許法六九条の「試験又は研究」にあたるとともに、被告らの行為は同法六八条の「業として実施」したものではないと主張するところ、右各条は特許権の効力の範囲を画するものであるから、被告の主張のいずれかが容れられれば、不当利得の要件である原告の損失が認められなくなるということができる。
2 そこで、被告らの行った試験が特許法六九条の「試験又は研究」にあたるかどうかを検討する。
(一) 右の判断にあたっては、特許法が発明の保護及び利用を図ることにより発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的としていること(同法一条)に鑑みると、医薬品の製造販売を規制する薬事法の目的及び同法の医薬品承認制度の仕組みにも配慮しながら、特許権者の利益と第三者ないし社会一般の利益の調整の観点から検討されるべきである。
(二) まず、後発者の立場からみると、特許法上は、特許権の存続期間経過後は何人も直ちに特許されていた発明を実施することができる。ところが、医薬品の場合は、保健衛生の向上を図る目的(薬事法一条)の下に、その製造販売に先立ち、厚生大臣の製造承認を受けることを要し、そのための審査が前置され、右承認を受けようとする者は、申請書に臨床試験の試験成績に関する資料その他の資料を添付して申請しなければならない(同法成績に関する資料その他の資料を添付して申請しなければならない(同法一四条)。このため、右審査のため相当期間(原告の主張によれば薬価基準収載まで最低二七か月間という。)を要することになる。しかし、前記のように特許法と薬事法の立法目的が異なる以上、医薬品の特許発明とそれ以外の一般の特許発明とで、存続期間経過後の実施において、後発者の取扱いを異にする合理的な理由に乏しい(原告は、存続期間満了後二七か月間法律上独占的に製造販売しうる権能を有するとも主張しているが、その期間は右のとおり薬事法の規制に由来するものであって、かつ、同法が先発者の利益保護を目的とするものでないことは明らかであるから、原告のいう利益はいわゆる反射的な利益に過ぎない。)。
(三) また他方では、医薬品の特許権を有する先発者に対しては、医薬品に関して前記所定の手続を要することを考慮して、存続期間の延長の制度(特許法六七条二項、特許法施行令一条の三第二号)も設けられているところである。このことは、一面において、原告が本件特許を侵害されたと主張する医薬品承認制度における所要期間について、立法上の手当がされていると評価することもできる。
(四) 次に、後発品医薬品といえども、製造承認にあたり必要な資料が薬事法の医薬品の有効性、安全性の確保という公益目的とのつながりを有するものであること、また、後発者の入手できる先発者の行った成果のみで必要な資料が調えられるのでなく独自の試験研究も必要であり、このことから技術の進歩に資するという側面を払拭することもできないこと(乙一三)を指摘することができる。
試験の性格に鑑みると、医薬品に関して特許権の存続期間の満了後に製造販売する目的で、右特許権の存続期間中に薬事法上所要の試験を行うことは、特許法六九条一項にいう「試験又は研究」に当たると解するのが相当である。そして、被告らの行った試験は、右の目的で試験を行ったものであるから(当事者間に争いがない)、同法六九条一項の試験又は研究のためにする特許発明の実施に該当するというべきである。
3 以上によれば、原告の不当利得返還請求について、少なくとも原告の損失が認められないことになるから、その余の点を判断するまでもなく、原告の右請求は理由がない。
四 よって、原告の本件請求はすべて理由がないから、これらを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 渡辺修明 裁判官 梅本圭一郎 裁判官 ▲柳▼本つとむ)